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近江商人とは

商法

豪商と呼ばれた近江商人たちも、初めは天秤棒を肩に全国を行商しました。一定の販路と資本ができると三都(江戸・大坂・京都)をはじめ全国に出店を持ちました。井原西鶴が『日本永代蔵』で「鋸商い」と呼んだように、持ち下り荷(関西から関東や地方へ)・登せ荷(地方から関西や江戸へ)など、地域間の需給と価格差に着目して生産地から消費地へ生活必需品を流通しました。「諸国産物廻し」と呼ばれるものです。

金融業

近江商人の多くは金融業や質屋も営みました。各藩に貸出す「大名貸し」には、名目貸しと郷貸しがあり、名目貸しとは徳川御三家や有力社寺の御用途金の名目で貸すもの。郷貸しは村の領主に対する貸付で、その村の年貢で返済しました。米や大豆などの現物で返す場合もあり、近江商人が醸造業などを営む契機にもなりました。また、明治以降は、多くの商人が銀行設立に参加しています。

製造業

「諸国産物廻し」をする近江商人が、その商品に関心をよせ、製造者も商人に販路の開拓を求めました。東北地方へ麻布を持ち下りし、苧麻を登せ荷するのがその典型です。資本と技術を提供して、その地方へ原料を移入し製品を移出するという産業構造をつくりました。また、紅や酒・醤油など自ら製造権を取得し原料を仕入れ、技術者を雇い入れて製造販売した商人も多くいます。江戸周辺の関東一帯には、日野商人が開業した酒造業が数多くありました。

共同企業と講

近江商人は、経営の範囲が広がると個人企業から何人かが資本を出し合い、共同企業(乗合商合)をつくるという近代資本主義の形態へ移行しました。両浜商人の藤野喜兵衛ら3名は、元文3年(1738)に択捉場所請負の共同企業をつくり、寛保元年(1741)には八幡商人西川伝治が21人の出資を得て北海道海産物を商う共同企業を設立しました。文化10年(1813)に五個荘商人稲本利右衛門が西村重郎兵衛と共同出資し、今日に続く呉服商稲西屋を開いています。
講は、商人たちが自己の商権を守り、相互の不要な競争をさけるための組織でした。これには商圏別と出身地別のものがありました。主なものに、和歌山の持ち下り呉服商人の「若菜講」、八幡商人による東北地方の「恵比須講」、江戸の「江戸恵比須講」、五個荘商人による「薩州持下り株仲間」、日野商人の「日野大当番仲間」などがありました。

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