21世紀に伝えたい近江商人の言葉

堪忍(かんにん)

「苦しいことをがまんして耐え忍ぶ」
「怒りをこらえて他人の過ちを許す」

近江国神崎郡位田村(現在の東近江市五個荘竜田町)の近江商人・小杉五郎右衛門家に、
代々伝わる家訓です。

この「堪忍」にまつわるエピソードをご紹介します。

天保8年(1837年)6月、小杉五郎右衛門の商圏の中心だった金沢藩で、
棄捐令(貸借を破棄される法令)が出されたため、売掛金が全部損失しました。

大損失をうけ、落胆のあまり、日夜寝室で臥せっていた五郎右衛門。
そんな五郎右衛門のもとへ、隣家に住む近江商人の先輩・松居遊見が訪ねてきて、
「この困難なときこそがチャンスだ」と激励し、
加賀国(石川県)へ再び商いに行くようにすすめました。

松居遊見の言葉を聞いて冷静になった五郎右衛門は、
「この棄損令によって、今、加賀国へは他の商人たちは行かないはずだ。
きっと商品不足で、人びとは困っているに違いない。
この時期に、いち早く現金販売すれば、必ず利益は上がる」と考え、
すぐに商品を大量に仕入れ、加賀国へと向かいました。

その結果、多くの人びとに歓迎され、商売は大繁盛。
「苦境の時こそチャンス」と教えてくれた松居遊見に、
小杉家は後々まで感謝し、小杉五郎右衛門家には、
遊見が力強く自筆した「堪忍」と描かれた掛け軸が大切に伝えられているそうです。



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近江商人・松居遊見が自筆した「堪忍」の二文字

積善の家に必ず余慶あり

善い行いをすれば、必ず、思いがけない慶びごとがやってくる。
近江国神崎郡金堂村(東近江市五個荘金堂町)の近江商人・塚本喜左衛門家に伝わる家訓です。

この言葉は、中国の古典『易経』の中の一文で、近江商人の書き記したものの中には、人の道理を説いた中国の古典書から抜粋した言葉が多くみられます。


創業者・喜左衛門は、12歳の時に同郷の商家に勤め、北陸関東方面へ呉服の持ち下り商いに従事。後に、別家を許され、染め呉服問屋・塚本喜左衛門商店として念願の独立を果たします。堅実な商いを積み重ね、老舗の商店と肩を並べるほどになりました。

多忙な中でも喜左衛門は、郷里の南五個荘村(東近江市五個荘金堂町周辺の地域)の村長をつとめ、また、隠居後は「陰徳を積む」(人に知られないように善行を積む)ことを心がけ、居宅を村に寄付したり、正月前になると、村の困窮した家の戸口に、気づかれないように米や金を入れた袋を置いてくるのが、同家の丁稚の仕事であったというエピソードが残っています。

現在でも、塚本喜左衛門家には、「積善之家必有余慶」の扁額がかかげられています。
「善行を積む家には、必ず、子々孫々まで、喜び事がやってくる」創業者の思いが、今も受け継がれています。


「先義後利栄 好富施其徳」

「義(ぎ)を先(さき)にすれば、後(のち)に利(り)は栄(さか)え、富(とみ)を好(よし)とし、其(そ)の徳(とく)を施(ほどこ)せ」。
これは、江戸時代前期から続く、近江国蒲生郡八幡町(現近江八幡市)の近江商人西川利右衛門家一統の家訓です。
この言葉の意味は、「人としての道理をわきまえた行いをしていれば、必ず利益は後からついてくる。そして、その得た富に見合った徳(善行)を施しなさい。」ということです。
商人として大成するには、目先の利益のみにとらわれず、人徳を持った人となることを諭しています。
西川家では、分家や別家にもこの家訓を記した掛軸を贈りました。
近江八幡市立資料館『近江商人その心の系譜』によると、昭和初期まで、西川家一統では、別家の際、主家からこの家訓の掛軸を贈られたという聞き書きが残されています。
主家と同じ理念をもって、暖簾を大切に、商いをしていく。
近江商人たちは、先人が残した多くの言葉を家訓として受け継ぎ、さまざまな格言を掛軸や扁額という、目に見える形で、語り継いできました。
先人の知恵を次代に受け継ぐ。この姿勢こそが、老舗の力なのではないでしょうか。